●批判する人と批判される人のどちらになりたいか?
他人の批判に振り回されず、自分のやりたいことに集中しましょう。批判する人は責任を負ってくれません。
昔から、テレビで野球中継を見ながらオヤジたちが
「なんでそこで川藤を出すんや!」
「また今日もピッチャー鹿取か!」
とかビールを飲みながら言っていたものです。私は楽し
みにしているマンガが野球中継で放送されないのが嫌で
嫌で、野球そのものが嫌いになってしまいましたが。
それはさておき、サッカーの試合を見に行けば
「なんで負けてるのに守りに入っとんねん!」
支持率が落ちた首相を見れば
「どうして首相の椅子にみっともなくしがみつくんだ」
その人が首相を辞めれば
「なんで今の時期に首相を辞めるのか、無責任な」
医者がいないからと救急患者を受け入れなければ
「なんで患者をたらい回しにするんだ、この人でなし」
無理して受け入れても力及ばず患者さんが亡くなれば
「なんで無理な治療をしたんだ!」
生徒の進路指導で安全パイを指導すれば
「うちの息子はそんなにバカじゃない!」
進路指導で無理目な線でも推してみたら
「そんなレベルの高い所受けて落ちたらどうするんだ!」
まあこんな風に、何をどうやっても批判や批評とかとは
縁が切れそうもありません。仮に誰からの批判も批評も
受けたくないからといって何もしなければ、
「奴はすべき事を何もしなかった」
と批判されるのが落ちです。
結局、何をどのようにするかについては、批判する他人
は責任なんぞ負ってはくれません。無責任な批判や批評
に耳を傾けすぎて、自分自身を見失ってはアホみたいで
はありませんか。
現に昔のえらい人もこう言っています。
> どんなバカでも、あらを探したり難癖をつけたり苦情を
> 言ったりできる…そしてたいていのバカは実際にやる。
> ベンジャミン・フランクリン
> 批評家の言うことなどに耳を傾けるな。批評家の功労を
> 称えて銅像が建てられたことなどないのだから。
> ジャン・シベリウス
私が自動車教習所の路上実習を受けていた時に、助手席
に座っていた年かさの教官が言った言葉を思い出しまし
た。教習所で教わった他のどの知識よりも役立ってるよ
うな気がします。
「後ろでクラクションを鳴らしてる車のせいで焦って事
故を起こしても、後ろの奴らは責任なんか負ってはくれ
ない。だから交差点の右折で焦るな」
結局、そういう事なのでしょう。
◆シンプルすぎる要約◆
批判する人は内容に責任など負いません。責任を負うの
は批判される側ですから。無責任な批判にビビるよりも、
自分のすべき事、したい事をしましょう。