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これサンタさん? いいえ、散多苦労大菩薩様にあらせられます

美術ライターの橋本麻里さんが散多苦労菩薩について学ぶツイート。ネットでの混合ネタや身を張ったギャグについて考えさせられる。

いつも通りに仕事をしながらツイッターをつらつら見ていると、
美術ライターの橋本麻里さんがこんなツイートを。
> (白隠展を見る前に散多苦労菩薩について学んでおかないと。)


「散多苦労菩薩? 初めて見る名前だが美術ライターの人が
わざわざ学んでおくくらいだし、マニアックな仏さんなのかな」
と思って検索したら...。
・散多菩薩とは

・散多苦労菩薩様のお姿(※イラスト)

...100%混じりっけなしのネタじゃないか!
ここまでなら、ネットでしばしば見かける「大馬鹿なネタで
大真面目に盛り上がる事例」なんですが...。
もっとすごいものを見付けてしまいました。
・【聖☆お坊さん】仏式クリスマス法要・サンタ菩薩供養【仏具で演奏】

本物の僧侶が自分のお寺に「散多菩薩(注:踊るサンタ人形)」を
置いて、何だかよく分からない真言など唱えつつ勤行しています。
これは「身を張ったギャグ」と理解すべきなのか、「葬式仏教化した
日本の仏教へのアンチテーゼ」と理解すべきなのか頭を抱えます。
まあ散多菩薩はネタとしても、仏教やキリスト教などが土着の宗教や
神を取り込みながら変質していったのは歴史的事実であります。
・サンタ菩薩

別に宗教史について語りたいわけではありませんし、その辺の
造詣が深いわけでもありません。
ただ、この糞真面目に行なわれる大馬鹿なお遊びから、いくつか
教訓のようなものを見いだせます。
自分の考えを赤の他人に受け入れてもらうには、まず相手が大事に
しているものを自分が受け入れてみせるのが先決です。
また、時代の流れや文化の違いなどで消えずに受け入れられ続ける
には、新しいものや異質なものを取り入れる必要があるのだなと。
「そういうやり方は邪道だ。本来の道から外れて生き長らえても
意味がない」という考え方もありましょう。
譲るべきでないことまで譲りすぎたり、受け入れてはいけないこと
まで受け入れたりしたら、確かに意味がありません。
なので「譲れない一線」「捨てられない核心の部分」を、早い
うちにハッキリさせておくことが重要です。
 
 
 
 
 
 
 
◆シンプルすぎる要約◆
肝心な部分を守るためには、枝葉にこだわりすぎるのは有害、
なのかもしれませんね。