安堵町と河合町の間にかかる御幸橋から真っ直ぐ南に下ると、右手(西側)に小さな古墳があります。手前にある河合町コミュニティーバスのバス停に【丸山古墳】と書いてあるので、間違いなく古墳なのでしょう。
登り口がないものかとグルリと周ってみましたが、東側は低いブロック塀、南隣はお店の駐車場になっていて、西や北はそもそも畑や民家に遮られていました。
どうも5世紀後半に作られた古墳のようで国指定史跡にもなっていますが、発掘調査はおこなわれていないとのこと。
※5世紀後半:中国の南北朝時代に南朝の宋(劉宋)があった時代で、倭の五王(讃・珍・済・興・武)が朝貢していたあたりのようです。仏教伝来や聖徳太子より100年近く前です。
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